大判例

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東京地方裁判所 昭和47年(合わ)373号 判決 1973年3月27日

主文

1、被告人を懲役六年に処する。

2、未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

3、訴訟費用は全部、被告人の負担とする。

理由

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、昭和四五年三月一三日Bと結婚の届出をし、同年一〇月ころ、東京都○○区○○△丁目△番△号にある、Bの祖父母で養親(昭和三五年五月二八日養子縁組の届出)にあたるX、Y女夫婦の住宅(以下、本件住宅という。)にBとともに転居し、Bがそこで開いた玩具店を手伝いながらX夫婦と同居していた。

右Y女(明治三二年四月四日生れ)は、気性が激しく、Bの母であるZとVの二人の娘やBに対し厳しい躾をし、またZが結婚した当時、その結婚生活についても口出しをすることが多かつたため、かねてから、これら親族との折合いが悪かつた。そして、ZやBらが、Y女の反対を押しきり、前記のBと被告人の転居を断行し、玩具店を営むために本件住宅を改造したことから、Y女とZ、Bらとの感情的対立は深まり、さらに昭和四六年八月に死亡したXの財産相続をめぐる争いからY女が遺産分割の調停を申立てたり、昭和四七年二月二六日ころ、BがZ、Vらの支持を得てY女が反対しているのに再び本件住宅を改造したことなどの事情が加わり、Y女とZ、Bらの対立はますます深刻なものとなつた。

被告人は、住宅に転居した後、同居のX、Y女の食事の用意など日常の世話をし、Y女との折合いも悪くなかつたが、Y女がしばしばZやBに対する不満を被告人にもらし、嫁である被告人が両者の仲を十分にとりもたないことを非難する態度をとり、ことにXの死亡後はこの態度が強まり、近所の電気ラジオ商W方に行つて愚痴をこぼすことが度重なつたので、被告人は、Y女とBらとの感情的対立の板挾みとなり、辛い思いをすることが多かつた。そのため、昭和四七年に入つてからは、被告人はY女と口喧嘩をするようにもなり、本件犯行の直前の昭和四七年六月六日の夕刻にも、Y女がZやBの悪口をいつたことをきつかけとして、Y女と大声で口論をした。

(罪となる事実)

被告人は、

第一、同日午後八時すぎころ、Y女が酒に酔い、「ラジオ屋へ行つてくる」といいながら、本件住宅の一階勝手口から、前記W方へ出かけようとした際、同女の腰付近を押えるようにしてひきとめ、台所まで連れ戻したが、五分も経たぬうちに再び同女が勝手口から出かけようとしたため、立腹し、同女を後へ引き倒し、雨戸にしがみつく同女を仰向けにひつくりかえし、抱え上げて、一階六畳間に連れていき、布団に寝かしつけた。ところが、午後九時ころ、Y女がまたもこつそり外出しようとしたので、被告人は、右手をつかんで台所へ強く引つぱりこみ、さらにY女が「ここにいるよりラジオ屋さんにいる方がみんな親切にしてくれる」といつたのに憤激し、台所で立つていた同女の身体を強く突き倒し、傍らの柱とコタツ板の間に仰向けに転倒させ、Y女が「殺すつもりか」と叫んだことでますます逆上し、倒れている同女の腹部、胸部を数回足蹴にしたり、踏みつけたりし、同女に頸部打撲、肋骨骨折、肝臓破裂などの傷害を負わせ、まもなく、同所で、右各傷害を誘因とする、心臓弁膜症に基づく急性心臓機能不全により死亡させ、もつて配偶者の直系尊属を傷害により死亡させた。

第二、同日午後一〇時ころ、右の犯跡を隠蔽するとともに、自殺をするため本件住宅を焼燬しようと考え、一階六畳間の古新聞紙にマッチで点火して火を放ち、六畳間のベニヤ板壁、柱、天井など約3.4平方メートルを燃焼させ、もつて、前記Bらが現に住居に使用する木造三階建店舗兼居宅を焼燬した。

(証拠の標目)<略>

(弁護人の主張に対する判断)

一、尊属傷害致死罪の違憲の主張について

弁護人は、刑法二〇五条二項の尊属傷害致死罪の規定は憲法一四条一項が定める法の下の平等の原則に違反し無効であると主張するが、当裁判所は、以下に述べる理由により、これを採用しない。

尊属傷害致死罪の規定が憲法一四条一項に違反しないことは、最高裁判所昭和二五年一〇月一一日大法廷判決(刑集四巻一〇号二〇三七頁)の判示するところである。右判決がこの規定を合憲と解した根拠は、(一)尊属傷害致死が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したものであり、これは道徳の要請にもとづく法による具体的規定にほかならない、(二)親子の関係は、憲法一四条一項において差別待遇の理由としてかかげる社会的身分その他いずれの事由にも該当しない、(三)国民の地位を、主体の立場から差別するのは許されないが、それぞれの対象の差にしたがい異なる取扱をすることは許される、(四)この規定の主眼は、被害者である尊属親を保護する点にはなく、むしろ加害者である卑属の背倫理性がとくに考慮され、尊属親は反射的に一層強度の保護を受けるにすぎない、(五)被害者である親族の範囲をどう定めるかは立法政策の問題である、というのであつた。当裁判所は、右の根拠はおおむね今日においても妥当性をもつと考えるので、右の判例の結論にしたがい、以下当裁判所がとくに重要視する論拠につき説明することとする。

すなわち、尊属傷害致死罪の刑が一般の場合より加重されているのは、尊属の生命が他の者の生命より尊いからではなく、尊属と特殊な関係にある卑属が、尊属を傷害して死亡させたときは、一般の場合より責任が重いからであると考える。直系親族の関係が、一般の人間関係とは異なる、親愛の情で結ばれた特殊な人間関係であり、法的にも特別な保護を受けていることはいうまでもない。ことに卑属は、尊属によつて産み育てられ、成人後はこれを扶養するという特殊な立場にあることは否定すべくもない。そうとすれば、右のような特殊な人間関係に立つ卑属が、この関係を破壊して尊属を傷害し、その生命を奪うという点で、尊属傷害致死の情状を一般の傷害致死のそれよりも重いと評価し、その刑を加重することは許されるものというべきである。結局当裁判所は、尊属傷害致死罪の規定を右の趣旨に理解し、法の下の平等の原則に反する不合理な規定とはいえないと判断する。この規定を右の趣旨に理解し、合憲と判断することに対しては、周知のとおり、多くの批判がある。そこで、そのうちの主要なものをとりあげて当裁判所の見解を示しておくこととする。まず、この規定は、尊属の生命を他の者の生命よりも尊しとする封建的な価値観にもとづくものであり、違憲とみるほかはないという批判がある。しかしながら、当初の立法の意図はともかくとして、前記の最高裁判所大法廷判決により、新憲法の下で、この規定に対する合憲的な解釈が示され、国会により法の改正がなされることもなく二〇年余を経過している以上、今日では、この規定は、右の判決に示された趣旨のものとして定着したものと理解すべきである。次に、この規定が直系親族間の傷害致死を加重する趣旨とすれば、尊属による卑属に対する傷害致死罪が設けられていないのは不合理であり、尊属傷害致死罪を違憲とみるほかはないという批判がある。しかしながら、前記のような尊属に対する卑属の特殊な関係を重視するならば、尊属傷害致死罪のみを設けるという立法政策にも合理的な理由があるというべきである。そればかりではなく、問題は、一般の傷害致死罪の刑より、尊属傷害致死罪の刑を加重することが合理的か否かにあるのであり、もしこれが合理的であるとすれば、右の規定を合憲とするほかはなく、卑属傷害致死罪の規定が欠けていることを理由として、右の規定を法の下の平等の原則に違反する不合理なものと評価することはできないというべきである。また、尊属傷害の規定がないのに尊属殺および尊属傷害致死の規定が設けられているのは、結果責任主義であつて、尊属の生命を尊しとする立法者意思の表われとみるほかはないという批判がある。しかしながら、親族に関する加重規定をどの範囲で設けるかは立法政策の問題であり、立法者が、死という重い結果を生じさせた場合に限つて加重規定を設けることも許されるものというべきである。さらに、尊属傷害致死罪の刑は無期又は三年以上の懲役であり、一般の傷害致死罪の刑は二年以上の有期懲役であるから、この程度の刑の差別をもつて、明らかに均衡を失する不合理な差別であるといえないことも当然である。

尊属殺および尊属傷害致死の規定の当否については、かねてから論議が多い。しかしながら、規定の当否の判断は立法府の責務である。当裁判所は、以上の理由により、尊属傷害致死罪は明らかに不合理な差別規定ではないと考えるので、これを合憲としたうえ、合理的な内容をもつ規定として運用するのが妥当と判断するものである。よつて、本件についても尊属傷害致死罪の規定を適用し、事件の具体的事情を十分に考慮して妥当な刑の量定に努めた次第である。

二、心神耗弱の主張について

弁護人は、本件傷害致死の犯行の際被告人は心神耗弱の状態にあつたと主張するが、犯行の動機、態様を考察すると、被告人が本件行為に出た事情は十分に了解することが可能であり、かつ犯行時および犯行後の行動にも精神の異常を疑うべき状況は何らうかがわれないから、右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、刑法二〇五条二項(一項)に、判示第二の所為は、同法一〇八条にそれぞれ該当するので、各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により一罪として重い判示第二の罪の刑に、同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

(量刑の事由)

本件犯行は、夫の祖母、養母に対し、酩酊で抵抗の困難な状態にあるのに、突き倒す、蹴る、踏みつけるなどの暴行を重ねて死亡させ、人家の密集地帯にある本件住宅に火を放つたものであり、さらに通行人らにより鎮火された後、被告人は、自己の犯行を隠蔽するため、捜査官に対し、Y女の手落ちで出火して同女が死亡した旨の虚偽の事実を陳述したものであり、犯行の態様、結果および犯行後の情状の点からみると、被告人の刑責はきわめて重いといわなければならない。

しかしながら、他面、すでに判示したとおり、Y女とZ、Bらとの長い間の深刻な感情的対立の板挾みとなり、辛い立場に耐えてきた被告人の気持のうつ積が判示のような口論をきつかけとして爆発し、本件犯行を惹起させたものと認められるほか、夫BやZらの被告人に対する配慮が十分でなかつたという事情も、被告人の刑責を評価するうえで逸することができない。その他Y女の重篤な心臓弁膜症も死の一因となつていること、現在の被告人の改悛の情は顕著であること、被告人の手を求める幼い子供があることなどの酌量すべき情状があるので、これら事情をあわせ考慮し、主文のとおりの量刑をした次第である。

(香城敏麿 河邊義正 雛形要松)

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